学校に行かなくても

どんちゃん

2008年11月09日 21:43

僕は昔、虫捕りが大好きで、虫の知識もかなりあって、親には「将来は虫博士だ」と言われていました。


そんな僕が変わったのは小学校1年。

やんちゃでいたずら好きな僕は、担任の先生に怒られる事も度々。

1年の担任だったS先生は、いつも僕に説教ばかり。


いたずらをしたことを怒られたならまだしも…

S先生は、今考えたらとても理不尽な怒り方をしてたのです。


帰宅路の神社で、日々寄り道をしてクワガタ採りに興じていた僕に、クラスメイトの前で「お前みたいに帰り道に神社で木登りしてるやつはおかしい!みんなそう思うでしょ?」

僕の父親は音楽教師で、小さい頃からクラシックを聞かされていて、あの裏声で歌うクラシックの歌い方が正しいと思い込んでいた僕が、校歌を裏声で歌った時、担任のS先生は「もっとちゃんと歌いなさい!そんな変な声で!」というのです。


その頃からです。
僕が「自分は変わってる」、「自分の個性を出しちゃいけない。個性を出す事は恥ずかしい」と思い出したのは。


幼心に、はっきりとそう悟った事を覚えています。


それからの僕は、極力「みんなと同じ」「みんなから外れないように」ということばかりを気にするようになりました。


自分の秀でた才能を人前で発揮する事さえもたじろぐようになったのです。


みんなが勉強するから、僕も勉強する。
学校に行きたくなくても、みんなが行ってるから我慢して行く。


そんな日々が、なんと大学まで続くのです!


その日々の中では、何となくそれが正しいとしか思わずに。


僕が大学に入ったのも、周りのみんなが大学を目指していたから。

子どもが好きだから、何となく教育学部を選んだだけ。



しかし…
大学に入って気付きました。
周りの友達は「昔習ったあの先生に憬れて!」とか、「先生になって子どもにこんなことをしてあげたい!」など、しっかりと「自分の思い」を持っていたのです。


俺は人にあわせて来ただけで、自分には何もない…


そう思いました。



しかし、大学の友達や教授に話を聞くうち、ぼくは「子どもが好き。自然が好き。外で遊ぶのが好き。」という思いが蘇ってきました。


たくさんの人が認めてくれた僕の個性。

みんなが個性に自信を持っている環境。


その中で、僕の頭をよぎった思い。


「特別に教員になりたかったわけでもないのに、教育学部にきたゃった…」


僕は自分の進路を求め、休学します。
興味のあった環境教育のセミナーやイベントに、積極的に参加しました。


その中で「やっぱり僕のやりたい事は学校の教員じゃない。」という思いが強まります。


次の年、僕は復学するも、教育学部に通う意味をいまだ見出だせず、大学には足が向かわないようになり、授業に出る事ができず、留年をします。


もう大学に通う意味ない…
そう思いました。



大学に入り、自分の個性に自信を持った僕。
その反面、大学に通う意味を見出だせなくなった僕。



そんな中で出会ったのが、はろであり、リヤ王です。

わにわにでは、本当に楽しい時間を、子供たちと過ごしています。
わにわにのおかげで、教育学部を卒業する意味を、多分に見出だせました。



一見、浪人もせず順調に国立大学まで進学した僕。

しかし、今思い返せば、不登校と紙一重の道だったと思います。

実際、大学6年目のぼくは、大学で不登校になったようなものだと、自分で思っています。



僕は今日、教職員組合主催の「不登校分科会」なるものに参加しました。


今、たくさんの学校に馴染めない子供たちがいます。


僕は持ち前のノー天気さで大学まで来たものの、やっぱり自分の考えで学校には行かない子供たちがいるのです。



僕がわにわにで目指すもの、それは色んな人達のコミュニケーションの場です。

これは、大学で自分の個性を認めてもらえた時から、他の個性を認める素晴らしさを感じていたから。


僕自身も、色んな境遇の子供たちや、障害を持った子どもたちに接してきて、他人の長所を認める楽しさを感じています。


僕もいつか、公園でのあそび屋わにわにに、今は自分の部屋から出られないような子供たちもみんなでワイワイやりたいです。



そのために、自分に何ができるだろう。

やっぱ、それぞれ違う他人の考え方、生き方を認めること。

それで、みんなで思いっきり楽しむ事!


只今、思案中のどんちゃんでした!