〜何も分からず環境教育ミーティングへの参加を決め、そこに何かを期待しつつ当日を向かえる!
僕が中学3年の夏、県内では進学校とされている金沢錦丘高校への進学を決め、高校への受験勉強に精を出している頃でした。
当時、僕の担任で、理科の教師だった清水先生が、地球環境についての授業をしてくれました。
たった50分の授業。
その授業が僕に強烈な印象を与えるのです。
『今地球ってやばいんだ。』
『何とかしなきゃな。』
そう思いました。
僕はその後の中学校の卒業文集にこう書いています。
『将来の夢は決まっていないけど、地球環境に役立てる人になりたい。』
その後、高校に進学した僕は、環境について学べる大学を探しました。
そして見つけた進学先、それは信州大学工学部環境機能工学科でした。
長野は家族旅行などで度々訪れている馴染みの地。
そこに、環境と名の付く学科があったのです。
僕は目標をそこに決め、高校でも理系クラスを選び、受験勉強に励んでいました。
しかし、高校3年の夏。
今でも明確な理由は覚えていません。
僕は志望を教育学部に変えました。
先生にも『何で今から変えるんだ?』と何度も聞かれました。
でも、僕は、小学校の先生になろう。
そう思ったのです。
理由は子どもが好きだから。
小さい頃から年下の子たちとよく遊んでいました。
僕は信州大学教育学部に入学しました。
―そして大学3年の秋。
先生から聞いた環境教育の4文字。
中学高校時代に目指していた『環境』と、今学んでいる『教育』。
僕は大きな期待を抱いて、環境教育ミーティングに参加しました。
2泊3日のミーティングには、本当に様々な、そしてあつい思いを持った人が集まっていました。
環境問題を解決したい人、世の中を平和にしたいひと、人が大好きな人。
そして2日目の最後の夜。
僕はたまたま信州大学工学部で学ぶ若者に出会うのです。
信州大学だから話しかけたのではなく、何気なく話をしていると、なんと同じ長野市内の信大に通っているというのです。
僕は自分の思いをぶつけました。
子どもが好きなこと。
学校教育に疑問を感じていること。
自然の中で遊ぶのが好きなこと、それが子どもにとってもいいんじゃないかと思うこと。
そんなことを彼と1晩中語り合いました。
彼も子どもが好きで、何かしたいと思っているとのことでした。
『長野に帰ったら一緒に何かやろう!』
僕はこう誘いました。
ただ、彼はこのミーティングの後、1年半の留学に行くとのことで、彼の帰国を待って長野で再会することを約束しあったのです。
そのときの彼の名は半田裕、これがはろとの初めての出会いだったのです。
〜つづく〜