昨日、今日、明日は、リヤ王は休養日です。
今週末の中野陣屋まつり、いまから楽しみです。
さて、リヤ王が休んでいる間に、僕リヤ王に出会って今に至るまでのこと、僕の生い立ちなんかを絡めながら書いてみたいと思います。
時間があるときにちょこちょこ書いていきますので、よろしければお読みください。
僕は小さい頃、昆虫ばかりを追いかける虫っ子でした。
家族もアウトドアが好きで、キャンプに行くときは必ず虫取り網と虫かごを持っていったし、夏の夜には、よくおじいちゃんと一緒に、近くの神社にセミの羽化を見に行ったものです。
僕の父親は中学校の音楽教師で、アウトドアが好きとはいえ、自然に精通した人ではありませんでした。『アウトドアがすき』というよりは『旅行が好き』と言った方がいいかもしれません。夏のキャンプのほかにも、冬にはスキーに行くなど、色々なところに連れて行ってもらいました。その影響で、僕は今でもいろんな所に旅に出かけます。
僕のおじいちゃんは、元鯨漁師です。最近、捕鯨の問題が話題になっていますが、僕のおじいちゃんは若い頃、そんな捕鯨を仕事としていて、世界中を航海していたのです。
祖父母と同じ家で育った僕は、そんなおじいちゃんの『職人気質』みたいなものを感じながら育っていきました。おじいちゃんは何でも自分でやってしまう人で、今でも元気に庭仕事をこなしています。
そんな環境で育った少年時代の僕は、とにかくやんちゃ。いたずら好き。やりたいことは一人でも突き進み、我が道を行く。
そんな子どもだったようです。
ドブにハマって作った傷、木から落ちて作った傷、包丁で作った傷。少年時代のいろんな痛い思い出も、僕の身体にしっかりと残っています。
今思えば、こんな少年時代が、今の僕を成り立たせているのかもしれません。
しかし、中学に入ると、僕は陸上部に入部し、放課後や休日は練習。
部活が休みの日にも、友達と家でゲームやマージャン(中学生のくせに!!)ばかりしていたのです。
高校に入っても、ハンドボール部に入部し、来る日も来る日もハンドボールに熱中する高校時代でした。
しかも、進学校だったため、部活の合間に勉強についていくことだけで精一杯でした。
高校3年の夏、僕は信州大学教育学部に進学する事を決めました。
昔からスキー、この頃はスノーボードが好きで、しかも長野へは家族旅行で度々訪れているため、なじみのある土地でもありました。
教育学部に行きたかったのは、子どもが好きだから。ただそれだけです。教師になりたいとか、教師に憧れていたとか、そんなことは特にありませんでした。
ただ、『教育学部に行ったら教師になるしかないのかな』、そんなことを考えていたのです。
2003年の春、僕は希望どうり信州大学教育学部へ入学しました。
新しい友達も増え、部活はスキー部を選びました。
しかし、お金のかかるスキー部は、1年生の終わりに辞めました。
スキー部を辞めたものの、大学の授業は義務教育ほどは忙しくなく、僕は時間をもてあますことになりました。
なにしろ、小学校以来の『部活が無い生活』です。
そして、僕が大学2年生になったそのころ、僕の楽しかった少年時代を思い出させる、運命の出会いが待っていたのです…!
続く…