清里での環境教育ミーティングから2年後、2007年11月のことでした。
『もう日本にかえって来た?』
『うん、もう長野にいるよ!どんちゃんの連絡先失くしてしまって連絡できなかったんだ。』
『そうか!とりあえず会おうよ!』
『じゃあ明日7時に長野駅で!』
教育学部、学校教育に疑問を感じつつも、相変わらず自然と子どもが好きな僕が、2年前に環境教育ミーティングで出会った信州大学工学部生、『はろ』こと半田裕と再会する時が来たのです。
―そして、再会当日。
『久しぶり!元気だったか!?』
『うん。そっちは?』
ぎこちない会話が2人の関係を表現していました。
堅い約束を交わしたとはいえ、会うのは2年振り、2回目なのです。
とはいえ、熱い約束を交わした2人、すぐに会うことが決まりました。
遠距離恋愛だって破れがちな2年もの間。
しかし、1夜にして熱い約束を交わした2人。
その、国を超えた男同士の2人の約束は、しっかりと保たれていたのです!!!(笑)
2人はファミレスへと向かい、早速話題を切り出しました。
『長野で何ができるかなぁ?』
当時、僕たち2人は地元長野で活動したいと思いつつも、その機会がなく、様々な物と人が集まる首都東京での活動を余儀なくされている状態でした。
『僕たち大学生と子どもとが触れ合える機会を、この長野でどうやって作ろうか?』
はろの帰国後初めて再会したこの11月を機に、2人での話し合いは翌年3月まで続きます。
その間、様々な案が出ました。
小学校に赴くこと、長野市役所に相談すること、下校ルートで駄菓子屋を営むこと。
そんな議論を繰り返していた2008年1月下旬、突如としてそのアイデアが浮かぶのです。
―リヤカー。
リヤカーならば場所を問わず移動できる。
リヤカーならばたくさんの遊び道具を乗せて子どもの元へ行くことができる。
リヤカーならば、その姿の滑稽さで、子供たちを集めることができるんじゃないか。
僕たちの方針は固まりました。
『リヤカーをひいて子供たちに遊びを届けよう。』
僕たちはリヤカーを探し始めました。
しかし…
この時代、なかなかリヤカーが見つからないのです。
僕たちは、農村やリサイクルショップ、農機具店へ赴きました。
そこで待っていた反応は…
『リヤカーなんてないよ。』
そんな返事ばかりでした。
やっとリヤカーを見つけても、購入すればその値段は10万円近く。
学生である僕たちには手が届かない値段でした。
『やりたいのに、できない…。』
『どうすればいいんだ…。』
そんな戸惑いを抱えてい2008年3月下旬、僕の携帯電話に、運命の着信があるのです。
〜つづく〜